写真は国道243号の朝陽鎮のあたりの写真。この周辺も急激に開発が進んでおり、道路工事も実に多い。以前は、墳墓の土盛が見えていたが、既にそのようなものはなくなってしまった。時々、遠くまで見渡せる場所があり、邙山がなだらかな丘陵地帯であることがわかる。一帯、どのくらいの北魏墓が隠れているのだろうか。
平成26年度の埼玉大会で承認された「大学書道学会の初期の活動調査」の一環として、資料整理を進めています。(第1回座談会記録はこちら。)
1.全国大学書道学会の歴史
1.学会の設立
現在の「全国大学書道学会規約」では、附則の項に学会規約は昭和34年6月12日から施行することになっている。その準備については、日本教育大学協会第二部会 書道部門(以下二部会と略称)で行われた。
昭和33年6月5日の熊本大会では、二部会の拡充強化策として学会の設立がされることになり、準備委員会が設立されることになった。委員は、北海道地区太田鶴堂、東北地区藤本升亭、関東地区鈴木竹影、東海地区能勢海旭、北陸地区竹内沈鐘、近畿地区狩田巻山、中国地区絹田岐陽、四国地区浅海蘇山、九州地区相浦紫瑞の諸氏である。この場で、名称を全国大学書道学会とし、また、会員は、国立大学書道担当教官、同付属学校における書道習字の担当教官、私大における書道担当教官とすることとされた。
この学会の活動内容としては、研究発表会、書作品展覧会、講演会の三本立てとされた。また、原案を推進するために特別準備委員が委嘱され、田辺古村(東京学芸大)、鈴木竹影(東京学芸大)、伊東参州(東京学芸大)、石橋犀水(新潟大)、浅見喜舟(千葉大)、服部北蓮(埼玉大)の六氏が就任することになった。
そして、学会設立である。昭和34年6月11日に京都学芸大学で開催された二部会総会で、全国大学書道学会の規約が制定され、役員選挙が行われた。これが全国大学書道書道学会の設立である。冒頭に記述した学会規約の有効性を考えて、翌日の6月12日の施行にしたと思われる。
役員は、幹事長が田辺古邨氏、常任幹事は、会計が鈴木竹影、伊東参州の両氏、会計監査が石橋犀水、服部北蓮の両氏である。二部会の地方代表者はそのまま幹事とすることも確認された。
2.学会活動
学会の活動が開始されたのは昭和35年の岩手大会からである。10月20,21日の両日、33名の参加者により開催されたが、学会が設立されても、大会運営に大きな区別は設けられなかったようである。二部会兼学会の研究発表として、山口野竹(北海道学芸大学)、吉丸竹軒(岩手大学)、神谷葵水(愛知学芸大学)、上原欣堂(富山大学)の四氏が登壇している。学会にとってはこれが初めての発表ということになろう。
この年の役員改選で幹事長が石橋犀水氏となり、常任幹事は田辺古邨、鈴木竹影、伊東参州、服部北蓮の四氏が就任している。
また、公開講演会が開催され、太田孝太郎氏が「中国古印概説」と題した講演をしている。
昭和36年は、6月12,13日に徳島大学の田中双鶴氏が担当され徳島大会を開催している。研究発表・講演会の他、大学書道教官作品展が徳島県博物館で開催された。その後、愛知大会(昭和37年)、富山大会(昭和38年)、埼玉大会(昭和39年)と続くことになる(下記の一覧表を参照)。
3.研究誌について
大学書道学会として学会誌が発行されるようになったのは、昭和47年度からである。しかし、学会独自の編集ということではなく、日本書道教育学会の『書学』を表紙を付け替えて学会誌『全国大学書道学会研究報告』に転用している。昭和58年には『全国大学書道学会研究集録』と名称を変更している。学会誌が単独で編集されるようになるのは昭和63年の奈良大会からである。初期はレジメを印刷したものであったが、徐々に形式が整えられてきた。平成13年度からは『全国大学書道学会紀要』に、平成19年度からは『大学書道研究』と名称を変更している。
2.学会開催地・論文一覧
全国大学書道学会は、日本教育大学協会書道部門会(通称二部会)から誕生しています。第27回大会(新潟大会)までは、二部会の日程も含まれています。